ヨルダンの「アンマン」からイスラエルの「エルサレム」へ
はいこんにちは。
どうもだばでーです。今日もよろしくお願いします。
今日は昨日の予告どおり隣国イスラエルに向かいます。
目的地はちょうど首都だとか首都じゃないとかどうとかこうとか言っている都市エルサレムです。

アンマン→エルサレム
エルサレム
エルサレムまたはイェルサレムは、イスラエルにある都市。エルサレムは世界最古の都市の一つであり、エルサレムはユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖市と見なされています。
イスラエル政府とクネセトはエルサレムにありと宣言された「首都」はエルサレムです。しかし、イスラエルの首都としてのエルサレムは、国際連合など国際社会はこれを認めておらず。したがって、イスラエルと国交を持つ諸国、大使館や領事館はエルサレムでなくテルアビブに置いてきた。ただし、2017年になってアメリカ合衆国のドナルド・トランプ大統領はエルサレムをイスラエルの首都であると明言。2018年5月、アメリカ大使館をテルアビブからエルサレムに移転させた。パレスチナ自治政府は東エルサレムをパレスチナ国家の将来の首都と主張している。
地中海から内陸部に入った標高800メートルの小高い丘の上に位置する。ユダヤ人が住む西エルサレムと、アラブ人居住区である東エルサレムから成り立つ。
西部はイスラエルの行政区画であるエルサレム地区に属する。東エルサレムは第三次中東戦争(1967年)でイスラエルが占領し、編入を宣言したが、多くの諸国とパレスチナ自治政府は認めていない。パレスチナ自治政府は東エルサレムをヨルダン川西岸地区エルサレム県に含まれるとして領有権を主張し、パレスチナ独立後の首都と規定している。
古代イスラエル・ユダ王国の首都で、エルサレム神殿がかつて存在した。イエス・キリストが処刑された地でもあり、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教共通の聖地となっている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
普段は引用するときに多少の割愛や修正なんかもするのですが、今回は前半部分があまりにも日本語が不自由だったので敢えてそのまま載せてみました。
西洋の3つの宗教、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教って実は根っこの部分が基本同じです。神的なモノがいて、それの代弁者としてなんかすげぇこと出来る人間が現れる、という世界観。イエス・キリストやムハンマドなんかもそれ。根っこが同じなのでイエス・キリストはイスラム教でも預言者の1人としてしっかりカウントされています。
その根っこの部分ってのはだいたい旧約聖書に書かれているもの。神が天地を作ってー、アダムとイヴがー、ノアの方舟がー、モーセの十戒がー、という、日本人にも結構なじみのあるアレです。
この話って日本書紀やギリシャ神話と似たような感じで、神による天地創生とかそのあたりは神話っぽいんだけど、徐々に史実が混じってきます。そこに書かれている人々がユダヤ人。そしてその舞台となっているのが現在のイスラエルやパレスチナであり、エルサレムなのです。
なのでまぁこの辺の宗教の方たちにとってとても重要な街なんですよ。いろんな宗教の聖地とされている場所が集まっています。
本気の宗教施設ってすごいですからね。楽しみですね。
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アンマン
というわけでアンマンの朝、5時半です。
もう早いっつーのまじで。
昨日も書きましたが、イスラエルとの国境であるキングフセイン橋までのバスが朝6時半発の1本しかないのですね。おかげさまでこんな早起きさせられております。
バスを運行しているのはJETT社というバス会社。
昨日チケットを購入した窓口の前からバスが出るそうです。
宿泊していた宿からは徒歩1時間弱。昨日は1時間越えた気がしますね。日中は車の交通量が多いから歩きにくいんですよ。
今は朝早いのでサックリと着くでしょう。あ、同宿の日本人の方たちはタクシーをシェアして行かれるみたいでした。まぁ普通はそうするよね。

JETT社のオフィス
はい。こちらがJETT社のオフィス。この前からバスが出ています。
が、同じような時間に出るバスが他にもあり、どれがどこでおまえのバスはまだ来てないとかゴチャゴチャしていました。まぁここにいるスタッフはみんな英語を話すので特に困りません。というか今のとこヨルダンで英語通じない人見てない。

キングフセイン橋行きのバス
お、どうやらこのバスがキングフセイン橋に向かうバスのよう。ようやく出発です。
昨日のうちにチケットを買っておいたのが功を奏したのか、1番前の席に座ることが出来ました。しかも乗客が少なく二人がけの席にそれぞれ一人ずつしか座っていません。
これは快適なバスの旅が楽しめるぞ、、、とほくそ笑んでいたところスタッフと思われる兄ちゃんが「隣座らせてね」と言って座ってしまいました。
普通スタッフは入口の脇にある簡易座席に座るもんだろと思ったのですが、そこにはすでに別のスタッフが座っていました。なんで運転手の他にスタッフが2人も乗ってるんだ。せっかくの快適バス空間が。。。
アンマンやその周辺は非常に丘が多いです。そもそもアンマンも丘だらけで移動が大変らしいですし。
中にはかなり高い丘もあり、そういうところを走っていると丸い丘が連なっている光景が見られてなかなか新鮮でした。あんまりない地形だと思います。

ヨルダン側国境
1時間ちょっとでヨルダン側の国境に到着しました。

イミグレ
あの左側の扉から入ったところがイミグレ(正確には違う)です。
まずバスに預けた荷物も全部持って荷物チェック。まぁ機械に通すだけですが。
そしたら出国カードを記入。書き終えたらそれとともにパスポートを窓口に提出。そのまま留保される。その間待合で待つ。
この時、出国税を支払う必要のある人はその旨を伝えられる。ぼくは支払う必要があるらしい。
パスポートを提出した窓口の向かいの窓口で出国税を支払い。10JD(1,500円ぐらい)。
で、パスポートは???
と乗客全員が不安になったところでバスに乗る用にバスのスタッフから指示される。
どうやらバスのスタッフがまとめて預かっているらしい。
ここまででだいたい1時間。
アンマンから乗ってきたバスに再乗車する。
どうやらここまで別の方法で来た人もこのバスに乗っていくらしく、さっきまでと違って満席になり、何人か座れない人も出ていた。
そんな中スタッフが乗客にパスポートを手渡していくのだが、、、
まず名前が読めない。まぁこれは仕方がない。外国人の名前って難しいし。
名前を呼びながらバス内を徘徊するも前から後ろまで来てまた前まで行ってまた戻ってきて、というのを一冊ごとに繰り返していて非常に効率が悪い。
そうこうしている間に新しい乗客が乗ってきて、、、
とまぁ簡単に言うとオペレーションがクソ。
仕事が出来ないにも程がある。
クロアチアからボスニアに向かうバスの車内でパスポートを配布していた乗客の方がよっぽど上手くさばいてましたよ。
この再乗車の作業だけに20分を費やしようやく発車。
ちなみにここで新しく乗ってきた人たちは別で料金を取られていました。アンマンからJETTバスに乗ってきた人は追加徴収なし。他の方のブログで「アンマンからJETTバスに乗るべき!」と書かれている理由ですね。
あと事前情報通りヨルダンの出国スタンプはパスポートに押されていませんでした。
バスは進み緩衝地帯の入口で停車。
ここで先程の出国カードと出国税のレシートを回収されます。
ここの作業はスムーズで、すぐに再発車。
地図上でヨルダン領を出た頃、車体の検査を受けます。
ヨルダン側のイミグレを出ておよそ1時間後、イスラエル側のイミグレに到着。
ヨルダンの小屋みたいなアレとはまったく雰囲気の違う、広くて大きくて白い建物。
建物の前で待機していた大量のスタッフがバスから荷物を降ろしていきます。
建物の壁には「スタッフにチップは不要ですよ」との注意書き。
やばい、しっかりしている感じしか無い。
建物に入る前にまず荷物を預けます。空港のチェックインカウンターみたいなものがあり、大きな荷物はここで預けます。
荷物を預けたらパスポートに預り証が貼られ、それを持って建物の中へ。
建物に入ると手荷物のセキュリティチェックとパスポートチェック。ここでは名前を確認されるだけ。
それを抜けると広々とした空間に片手では収まらない数の窓口が並んでおりヨルダン側との格差に圧倒されます。
そしてそこにはなんと売店があり、たくさんのベンチも設置され、なんだったら無料のWi-Fiが飛んでいます。しかも結構早いやつ。
至れり尽くせり。こんなに快適なイミグレーションが他にあるでしょうか。こんなに快適な空間を作ってしまうなんて、、、
長居させる気まんまんということですね。。。
と、いいますのもこの国境、検査が厳しいことで有名なのですよ。
まぁそもそもイスラエルちゃんって敵が多いでしょ?というか周り敵ばっかりでしょ?そんな立地なので陸路国境がすごい厳しいんですよね。特にこの国境はパレスチナ人が出入りする国境なのでなおさら。
あとイスラエルとガチで仲の悪いいくつかの国家。ここに入国歴がある人間はさらに厳しく見られます。まぁ向こうの立場にからしたらそりゃそうだよね。で、そのいくつかの国家ってのはレバノン・シリア・イラク・イラン・パキスタンなど。
わたくし、レバノン・イラン・パキスタンに入国歴がございますことよ?
さらに言うと、1972年に日本人がイスラエルの首都テル・アヴィヴの空港でテロったことがありましてね。あまり日本人に対する印象が良くないらしんですよね。まぁこれはだいぶ昔の話なのでどうか分からないですけど。
というわけで、わたくし、ここに長居する気まんまんでございます。
もう5時間でも6時間でもドンと来いって感じ。なんだったらお昼ごはんまで持参していますからね。
とりあえず一発カウンターに並んどくか。とりあえずそこやらないと話が進まないからな。
イミグレの兄ちゃん「こんにちは」
だばで「こんにちは」
兄「イスラエル入国の目的は?」
だ「旅行です」
兄「どのくらいいる予定?」
だ「1週間ぐらいです」
兄「どこに行くの?」
だ「エルサレムとテル・アヴィヴと、あとハイファです」
兄「ふーん(パスポートをめくる)」
兄「(まだめくる)」
兄「(めくりめくられるぼくのパスポート)」
兄「(パスポートをめくる手がとまる)」
兄「…イラン」
はいバレた。
今ちっちゃい声で「…イラン」って言った。
いやー、ワンチャンスルーされないかなーとか思ってたんですけどねー。
貼ってあるビザも多いから、さらさら見てたら見逃すこともあろうかと思ってたんですがそう甘くは無かったですねー。まぁ実際パキスタンビザは見逃してますしね。はいはい残念。
兄「イラン行ったことある?」
だ「あります」
兄「何しに行ったの?」
だ「旅行です」
兄「どのくらいいた?」
だ「3週間ぐらいですね」
もうお兄ちゃんがマジカヨコイツみたいな顔してます。
そしてお隣の同僚ともしょもしょやってます。はいはい。別室ですか。いいですよ。いくらでも送ればいいですよ。
兄「ちょっとこの紙書いて、その辺で待ってて」
パスポートをホールドされたまま別紙を渡されました。
まぁよく見るような入国カードの内容と大差ないですね。違いと言えば「今まで変な国に行ってませんよね?」みたいな設問があるぐらいでしょうか。まぁあるんですけど。
ちなみにぼくが聞いた中で1番長い人は、ここで6時間待ったらしいです。うひょーい。
おねえさん「ダイスキー」
あ、ぼくの本名って「Daisuke」なんですけど、英語っぽく読むと「ダイスキー」になるらしいんですよね。なのでぼくのパスポートを読んだ人に良く言われます。まぁそういうケースの大半はむさいおっさんに言われているので別に嬉しくともなんともないのですけど。あ、これ今別にどうでもいい話でしたね。
だばで「はーい」
おねえさん「あなたがダイスキー?」
だ「そうです(いちいち訂正しない)」
お「ちょっとこっちに来てくれるかしら?」
別室かと思ってたのですが、開いていない窓口のカウンターで立ち話するみたいです。
お「さて。イスラエルにはどういった理由で?」
だ「旅行です」
お「今回が初めて?」
だ「そうです」
お「どのくらい滞在するの?」
だ「1週間から10日ぐらいかと」
お「イスラエルのどこに行くの?」
だ「エルサレムとテル・アヴィヴとハイファです」
お「それぞれに数日ずつ滞在するということでいいかしら?」
だ「そうですね」
お「イスラエルに友人はいる?」
だ「いないです」
お「滞在中はどこに泊まるの?」
だ「ホステルです」
お「パレスチナ地区には行く?」
だ「行かないと思います(嘘)」
お「パレスチナ人の友人はいない?」
だ「いないです」
お「ガザは?ガザに友人はいたりしない?」
だ「いないです」
お「そう。じゃあ今までアラブの国に行ったことある?」
だ「あります」
お「どこに行ったことがある?」
だ「UAEとオマーン、あとレバノンです」
お「…レバノン」
だ「あとイランとパキスタンも行ったことがありますが、あそこはアラブでは無いですよね?」
お「イラン。パキスタン…」
だ「はい」
お「アラブでは無いけどそこも重要ね。パキスタンにはどのぐらいいたの?」
だ「1週間ぐらいですね」
お「どんな理由で?」
だ「旅行です」
お「現地に友人は?」
だ「いないです」
お「行ったのはいつ頃?」
だ「えーと。。。2016年、かな?」
お「イランは?」
だ「旅行で3週間ぐらい。友人はいません」
お「3週間もいたの?イランのどこに行ったの?」
だ「えーと、マシュハド、テヘラン、タブリーズ、シーラーズ、エスファハーン…」
お「あ、もういいわ。それはいつ頃?」
だ「イランは2017年かな」
お「レバノンは?」
だ「それはついこの間です」
お「どのくらいいたの?」
だ「10日間ですね」
お「ふぅ(ため息)。どうしてその国に行ったの?」
だ「んー。ぼく今世界旅行中なんですよね。だから個々の国に行った理由は特に無いんですけど」
お「世界旅行中なのね?どのくらいやってるの?」
だ「今4年半ぐらいです」
お「4年半!クール!」
だ「どうも」
お「お金はどうしているの?今仕事しているの?」
だ「いえ、日本で働いた貯金と、あとオーストラリアで1年間働きました」
お「働いたのはオーストラリア以外にも?」
だ「いえ、働いたのはオーストラリアだけです」
お「ほぅ(ため息)。じゃあ最後の質問ね」
お「どうしてイスラエルに来ようと思ったの?」
だ「それは私が建築家だからです。イスラエルにはたくさんの聖地があり、そのためたくさんの宗教施設があります。そういった素晴らしい宗教建築を見たい。それだけです。(๑•̀ㅁ•́๑)✧」
お「わかったわ。もう少し待っててね」
さっきの別紙には何も触れなかったな。。。
まぁあれは書類として必要なんだろう、きっと。あんなの別になんとでも書きようあるしな。
というかぜんぜん厳しい感じじゃなかったです。むしろかなりフレンドリーでした。まぁ美人のおねえさんににこやかに話させてボロを出させようという目論見だったのかも知れませんが。その程度のハニートラップには引っかからないぜ。
ちなみにおねえさんの横には長身の男性スタッフがもうひとり立っていて、我々の会話風景をずっと眺めていました。こわいなぁ。。。
しばらく待っているとパスポートとイスラエルの入国カードを別のスタッフが持ってきてくれました。
6時間ぐらい待つつもりで来ていたのにまだ2時間ぐらいしか経っていません。どういうことでしょうかこれは。まだお昼前なんですが。ランチ持ってき損じゃないですか。もうちょっと気合い入れてやっていただかないと困りますよ、ほんと。

イスラエル
81カ国目、イスラエルに入国しました。
イスラエル
首都はエルサレムだと本人は言ってる。
通貨の単位はシュケル。1シュケル=30円ぐらい。以下Sと表記。
民族は75%がユダヤ人。
言語はヘブライ語。
宗教は75%がユダヤ教。
イスラエル国家は「ユダヤ人」の定義を「ユダヤ教徒であること」もしくは「母親がユダヤ人であること」としています。なのでアフリカ系の黒人さんもヨーロッパ系の白人さんも「ユダヤ教徒であればユダヤ人」ということです。我々日本人は血統主義なのでなかなか理解しにくいですが、信仰している宗教で民族を分けるってのは西洋ではありがちです。まぁさすがに有色人種を含めての、となるとレアだと思いますが。
もともとイスラエルに定住していたアラブ人も一定数いるものの、アラビア語が公用語から外されたり、そもそも国籍じゃなく「市民権」だったりと、ねぇこれ差別じゃないの?という事象が多数散見されます。
結局、この世界で上手に生きるには体制側につくことが必要だってことですね。アメリカ様にへこへこしていれば地元で何やってても見て見ぬふりしてもらえる、ということのようです。
ま、そういうめんどくさいところには首を突っ込まないのが楽しく旅行するための基本ですね。見たいものだけちゃっちゃと見てしまいましょう。

イスラエル側イミグレ出たとこ
イミグレを出ると窓口が2つ。この内の1つがエルサレム行きのシェアタクシーのチケット売り場です。
ここの支払いはヨルダン・ディナールでも可能です。10LD(1,500円ぐらい)。

エルサレム行きシェアタクシー
こちらがエルサレム行きのシェアタクシー。車体が新しいですねぇ。
満員にならないと発車しないシステムで、ぼくが最初の1人だったのでしばらく待ちました。45分ぐらいですかね。もともと6時間待つ気で来ているのでその程度痛くも痒くもないですね。

イミグレ周辺の荒野
このイミグレのあたり、ヨルダン側もそうだったんですがこのような荒涼とした景色が広がっていてなかなかに興味深いです。どうやったらこんな地形が出来上がるんでしょうね。

パレスチナ自治区
ちなみに今走っているここは正確にはイスラエルじゃないです。日本政府的に言うとパレスチナ自治区内。
なのにイミグレはイスラエルが管理していて、こうやってイスラエルに向かう車両が普通に走っています。
一体何がどうなっているのか、などと考え出すと深みにハマるのでやめましょう。めんどくさいので。

エルサレム
30分も走ると、もうエルサレムが見えてきました。
ここもアンマンと同じく丘が多いですなぁ。

エルサレム
国境を出発して1時間弱。エルサレムに到着しました。
ここは旧市街の北の外れですね。左に見えているのは旧市街を囲む城壁です。
今回は旧市街の中に宿を取りましたので、あの城壁の中に入りましょう。



エルサレム旧市街
スークやろ、これ。
完璧にアラビアーンな雰囲気でした。
まぁイスラエルがアレするまでは普通にアラブ人の街だったわけでね。当然っちゃ当然なんですけど。
というかエルサレムってかなりの観光地だと思うんですが、少なくともぼくが歩いたあたりは完全ローカルでしたね。もちろん土産屋とかも混じっているとは思いますが。
無事に予約していた宿にチェックイン。
今日はもう観光は無しですね。なんだかんだで15時になっていますし。
ただ今日のうちにイスラエルの現地通貨を用意し、あとSIMカードも手に入れておきたいところ。
ぶっちゃけイスラエルはかなり物価が高いので、サクサクっと見てパパっと出ないと死んでしまいそうなのです。
ちょっと売店で価格調査してみたところ、コーラの500ミリボトルで300円、カップラーメンですら500円という、え、ここは地獄か何かですか?と卒倒しそうなお値段でございまして。
なので観光はしないがその準備は整えておかなくてはなりません。今日のうちに。
旧市街の中にはATMらしきものは見当たらず、いやATMと書いてあるお店はいっぱいあったんですけどね。ぼくが知っているATMはそういうのじゃないはずなので、旧市街を出て新市街に探しに行くことに。


新市街

ネットから拝借
欧米か?
なんでしょうこの雰囲気の違い具合は。違いすぎるんじゃないでしょうか。
いちおうこっち側は西エルサレムと言って、イスラエルが独立して最初から持ってた方。対して旧市街は東エルサレムの一部で、そっちはもともとヨルダン領を経てパレスチナ領だったところ。現在もパレスチナ自治区は東エルサレムを将来的な首都と定義しているのですが、まぁイスラエルがアレしたんですよ。
そういうわけで雰囲気が違うと、そういうことですか?
無事に現地通貨をゲット。やっぱりATMは新市街には普通にありました。
ただSIMは結局見つからず、というか見つかったんですが極限に高かったので諦めて旧市街に戻ったところ、さっきのスークの中のお店でわりとお手頃なものを発見したのでそちらで購入しました。
SIM代10S(300円ぐらい)、チャージ代60S(1,800円ぐらい)。1ヶ月20GB。そんなにいらないんですけどー。
ちなみにぼくは宿泊している宿、旧市街のど真ん中にあり立地は抜群。
建物自体は古いので綺麗とか清潔とかいう評価は間違っても出来ませんが、スタッフは親切ですし仕事もちゃんとしています。シャワーもアツアツでございますし。
そして何より。

フリーディナー
毎晩フリーディナーが出るのですよ。
これはこの物価の鬼高いイスラエルではありがたいことこの上ない。
しかもおかわり自由。
とりあえずこの宿にいれば死ぬことはないな。ありがたいほんとに。
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今日もありがとうございました。
[ 2019.05.13 | イスラエル | コメント: 0 | トラックバック: 0 | PageTop↑ ]
世界遺産の「エルサレム旧市街」に…
はいこんにちは。
どうもだばでーです。今日もよろしくお願いします。
今日からエルサレムの観光をしていきましょう。
見どころが多いので丸2日は見ておきたいところ。
今日は旧市街とその周辺を観光しましょう。ちなみに旧市街は世界遺産でもあります。
エルサレム旧市街
エルサレム旧市街はイスラエルのエルサレム市中にある旧市街で、面積は0.9km2 の区画で、城壁に囲まれている。1860年代までは、この旧市街がエルサレムの全体であった。エルサレムはいくつかの歴史的な宗教における重要な遺跡を含んでいる。ユダヤ教徒にとっての神殿の丘と嘆きの壁、キリスト教徒にとっての聖墳墓教会、ムスリムにとっての岩のドームとアル=アクサー・モスクなどがそれである。
伝統的に、旧市街は19世紀になって導入された4つの区画に分けられている。ムスリム地区、キリスト教徒地区、ユダヤ教徒地区、アルメニア人地区である。1981年に世界遺産として登録された。
「エルサレムの旧市街とその城壁群」は、ユネスコの世界遺産登録物件のひとつ。周辺情勢の不安定さから保護が必要な物件である一方、エルサレムの帰属問題などのデリケートな問題をはらんでいることから、ヨルダンによる申請という変則的な手続きが認められた珍しい物件である。1981年の第1回臨時世界遺産委員会で登録が決定された。臨時委員会で登録が決定した物件は、第41回世界遺産委員会(2017年)終了時点では他にない。翌年に危機遺産リストに加えられた。最も長い期間危機遺産リストに登録され続けている物件である。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヨルダンが申請して登録された世界遺産。
エルサレムに隣接しているイスラエル、パレスチナのどちらが申請をしても角が立つということのようですね。ヨルダンも大変だな。
こういうのを見ると、世界遺産もまだまだ不完全なシステムだと思いますね。だってどれだけ価値のあるものであっても、そこを管轄している主権国家が申請しないことには登録もクソも無いわけですから。各国の供託金で成り立っている団体ですし、大口スポンサーに対しては審査が甘くなることなど容易に想像できますし。あれ?そう言えばどっかの島国は毎年のように世界遺産が増えている気がす
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というわけでエルサレム旧市街についてざっくりと解説。
5〜15mの城壁に囲まれた旧市街。主要な通りによって4つに別れています。

北西がキリスト教徒地区。
イエス・キリストが十字架を背負って歩いた「悲しみの道」。
そして磔刑に処せられた場所には「聖墳墓教会」が建っています。

南西はアルメニア人地区。
アルメニア人はキリスト教徒ですが、キリスト教徒地区とは区別されています。
ここには「正ヤコブ主教座聖堂」があります。

北東はムスリム地区。
4つの地区の中で最大で人口も多い地区。

南東はユダヤ人地区。
「カルド」というメインストリートがある地区。
「嘆きの壁」と呼ばれる壁があり、後述するエルサレム神殿の外壁の内の現存する部分だとか。

で、旧試合の東の端にあるのが「神殿の丘」。
紀元前10世紀にユダヤ教の礼拝施設として建てられた「エルサレム神殿」が建っていたとされる場所。
現在ここには「岩のドーム」と呼ばれるモスクが建っており、イスラム教徒の管理下にあります。

旧市街の東にはオリーブ山があります。
イエスが復活した40日後に昇天した場所など、キリスト教にとって重要な場所がいくつか。
あとユダヤ教徒にとっても、週末の日にメシアが降り立つ場所とされており、重要な聖地であります。

旧市街の南にはシオンの丘。
キリスト教において重要な事象がたびたび記録されています。
ダビデ王が亡くなり、最後の晩餐が行われ、聖母マリアが亡くなり、聖ペテロがコケコッコーした場所など。それぞれに史跡が残っています。
果たしてこれを1日で見て回ることが出来るのか…?

宿の屋上
無理でした。
朝起きて屋上行ってみたらすっごい雨降ってんだもん。土砂降りよまじで。
こんな中屋外を観光するとか愚の骨頂ですよ。
確かにちょっと買い出しなんかで外に出ると、あのほっそいスークの中をびちゃびちゃのレインコートを着て歩き回っている観光客の団体とかいましたけど。
そういうことしなくてもいいのが長期旅行者のメリットですよね。天気待ちが出来る、という。
短期旅行者さんはよっぽどじゃなければ決まった日程を消化しないといけませんしね。
というわけで終了ー。
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[ 2019.05.14 | イスラエル | コメント: 0 | トラックバック: 0 | PageTop↑ ]
世界遺産の「エルサレム旧市街」探訪
はいこんにちは。
どうもだばでーです。今日もよろしくお願いします。
今日は少なくとも昨日よりはお天気が良いので、エルサレムの旧市街とその周辺を観光してみたいと思います。
ただ宿のオーナーが「今日はマラソンがある。マラソンマラソン」と昨日からテンション高めで
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エルサレム
というわけでとっとと行きましょう。とっとと。
昨日も書きましたが、なんせ見どころが多いのですよ。サクサク行かないと終わりません。
同宿の日本人旅行者の方曰く、「神殿の丘にある岩のドームは朝イチで行ったほうがいい。遅くなるとツアー客でごった返すから」とのこと。
というわけでとりあえずそっちから行きますか。
嘆きの壁
岩のドームへは嘆きの壁のお隣から入場できるとのこと。
じゃあまずはその嘆きの壁を拝見しましょう。
紀元前に建てられたユダヤ教の神殿。ローマ軍に破壊されたものの西側の外壁は残っており現存しています。それ以降エルサレムはローマ帝国やイスラム王朝の支配下に入り、ユダヤ人は自由に参拝を行うことが出来ませんでした。
1967年の第三次中東戦争でユダヤ人国家であるイスラエルがエルサレムを奪還し、実に1,900年ぶりにユダヤ人が自由にこの壁を訪れることが出来るようになったとのこと。
結局欲しいものを手に入れるのに必要なのは、祈りや信仰なんてあまっちょろいものではなく武力だってことですな。
ちなみにその壁の向こう側はムスリムの管理下にあります。

嘆きの壁
嘆きの壁に近づく前にはセキュリティチェックがありますが、誰でも入れます。

嘆きの壁
男女別に入れる区画が決まっています。こちらは男性の方。

嘆きの壁
右側の仕切りの向こうが女性側。観光客も近寄れますが、男女の区画を守り、男性も帽子などで頭髪をかくさなくてはなりません。持ってない方は入口のあたりにキッパが置いてあるのでそれをかぶりましょう。

嘆きの壁
ぼくはあまり信仰の場で写真を取ることが好きではないので遠目から眺めるだけにしておきました。
ああやって壁に向かって祈りを捧げるそうです。特別な日にはここが信者の方で埋まることもあるそうです。
あと手前を歩いている黒尽くめの人たち。燕尾服にハットをかぶり、もみあげがおしゃれなあの出で立ちが「超正統派」の特徴。ユダヤ教の教義に即して生活している、ゴリゴリの右派です。
ユダヤ教の教義を学ぶことを生活の第一とし、そのため働いていない人が多く政府からの補助金を受けて生活していたり、兵役を拒否したりしているらしい。もちろん超正統派じゃない人からの苦情もあるみたいですが、これがまかり通ってしまうあたりイスラエルの宗教観が垣間見えるというものです。

神殿の丘
まぁユダヤ教に対する知識どころか信仰心の欠片もないぼくにはあまり面白い場所ではありませんでした。ただの壁です。
というわけで神殿の丘の中に入り、岩のドームを拝もうと入口を探したのですが見つかりません。どこだ。どこから入るんだ?
それっぽいゲートの脇にいたスタッフらしきおっちゃんに聞いてみると「今日は開いてない」とのこと。
金曜日は開いてない
のでした。そういえば。そして今日は金曜日でした。そういえば。

左手に見える金色のドームが岩のドーム
確か明日の土曜日も閉まっていたハズ。
またの機会ですねぇ。まぁまたの機会が訪れるかは分からないですが。

にゃーん
オリーブ山
そのままアルメニア人地区に向かおうとしたのですが、オーナーが言っていたマラソンランナーがアルメニア人地区を走っており通行止めになっていました。
マラソンのルートが読めないので一度旧市街を出て、旧市街の東にあるオリーブ山に登ることにしました。

昇天教会
山頂近くにある昇天教会。
イエス・キリストが復活後、改めて昇天した場所とされています。今はイスラム教のモスクになっていて、入るのにもお金がかかるので外から眺めるだけに。
イエスが昇天する時につけた足跡が残っているらしいです。興味のある方は行ってみては。
他にもいくつか教会などがあるのですが、どれも見た感じ普通なんですよね。それほどか?って感じの。ここらにある教会や宗教施設は「イエスがここでなんかした」というエピソードが重要で、だからといって建物はそれほど気合が入っているという訳でも無いようです。

エルサレム遠景
まぁそれならそれで別にいいのですけどね。というわけでエルサレム旧市街を遠目から眺めることにしました。
オリーブ山からはエルサレム旧市街の全景を見ることが出来るのですよ。

オリーブ山
オリーブ山にはユダヤ人のお墓がたくさんあります。
ユダヤ教では、終末が訪れるとメシアがオリーブ山に降り立ち、黄金の門が開かれ死者が復活すると言われているとかなんとか。そのためお墓がたくさんなのですね。

岩のドーム
岩のドームもはっきり見えます。
どう考えてもアレがエルサレムで1番デカい建物だよな。エルサレム来てアレを見ないってどうなのかね。

にゃふん
ヴィア・ドロローサ
そろそろマラソンも終わったでしょうか。また旧市街へ戻ります。

ヴィア・ドロローサ
エルサレムはイエス・キリストが磔刑に処されたと言われている場所。
彼がこれから自分が張り付けられる十字架を背負い歩いた道が「ヴィア・ドロローサ」として、途中途中にある「イエスが何かした場所」を巡るように残っています。

起点
たぶんこの辺が起点。
これの左側の建物の中で判決を受けます。

セカンド・ステーション
そのお向かいにあったこの教会で十字架を背負わされます。

サード・ステーション
イエスが最初につまづいたところ。

フォース・ステーション
この辺りで群衆の中にいたマリアがイエスを見たとか。

フィフス・ステーション
シモンという人がここでイエスに変わり十字架を背負わされたとか。

シックスス・ステーション
ベロニカという女性がイエスの顔を拭ったとされている場所。
教会が建っていてその名も「ベロニカ教会」。

エイス・ステーション
この辺でイエスが周囲で泣いていた少女たちに「自分の為に泣くな」と言ったとか。
あ、7つ目は見失いました。2回目につまづいた場所だそうです。

ナインス・ステーション
イエスが3回目につまづいた場所。
で、ここまでが屋外。残り10〜14までのステーションはすべて、

聖墳墓教会
この聖墳墓教会の中にあります。
10個目はイエスが衣を脱がされた場所。
11個目はイエスが十字架に釘づけにされた場所。
12個目はイエスが死んだ場所。
13個目はマリアがイエスの亡骸を受け取った場所。
最後の14個目がイエスが埋葬された場所。
というわけで中に入っていくのですが。

聖墳墓教会
この人の量よ。

にゃーん
聖墳墓教会






聖墳墓教会なかみ
もうね。
何が何だか分からないというのが本音ですよ。
とにかく色んなものがあります。一体何か分からないけど、とにかくあります。
そんで建物自体もよく分かりません。たぶんたくさんの教会の集合体という表現が正しいんだと思います。右に左に上に下に、あちこちに聖堂がありお互いに繋がっていたり繋がっていなかったりします。
そんで人多すぎ。
人、多すぎ。
ところどころにある細い通路や階段、有名なんだと思われる聖堂なんかはもう人でごった返していました。
それが何かを調べるとか、写真を撮るとか、もうそういうのやってらんねぇぐらいの人がいます。人、多すぎ。
狭いし暗いし人多いしで、あぁこれはもうダメだ。


聖墳墓教会
とりあえずイエスの亡骸が葬られているという聖堂だけ行っておきました。
正確にはこの聖堂の奥の小部屋にあるのですが、当然のように長蛇の列だったのでスルーしました。

にゃーん
アルメニア人地区
続いてキリスト教徒地区に隣接しているアルメニア人地区へ。
朝行ったけどマラソンやってていろいろ通れなかったところですね。

聖ヤコブ主教座聖堂
ここの見どころはこの聖ヤコブ主教座聖堂。
普段は聖堂内には入れないのですが、15時から30分間行われる儀式の間だけ中に入ることが出来ます。そんなところに朝行こうとしてどうするつもりだってのでしょうね。
照明ではない丸いものがたくさん吊るされており、なんだか宇宙感のある聖堂でした。
そんな宗教儀式やってるところの写真なんか撮らないですよ、わたくしは。

にゃん?(再登場)
シオンの丘
アルメニア人地区にあるシオン門から旧市街の外へ出るとシオンの丘です。
そこに入ってまず見えてくる大きな建物。

マリア永眠教会
イエスの母マリアを祀るマリア永眠教会。
実はまだ新しく1900年代前半に建てられたもの。大きさで言えばエルサレム最大だそうで。

マリア永眠教会
聖堂の周囲にたくさんの小アプスが儲けられ、それぞれモザイク画で彩られています。
なんかやってるっぽかったので早々に退散しました。
マリア永眠教会を出て丘の奥に進むと、小さなシナゴーグがあります。

ダビデ王の墓
全イスラエルを統一し、エルサレムを都としたダビデ王の墓があります。
まぁ、、、あります。はい。

最後の晩餐の部屋
あとその建物の裏、なんかよく分からないところにあるこちらの部屋。
レオナルド・ダ・ヴィンチの作品で有名なあの「最後の晩餐」が行われたと言われている部屋です。
はい。です。

鶏鳴教会
シオンの丘を旧市街とは逆の方向へ進んでいくと、鶏鳴教会と呼ばれる教会があります。
ニワトリが鳴くと書いて鶏鳴。

道案内
道中の道案内もニワトリですし。

鶏鳴教会
ドームの天井にもニワトリが乗っています。そこ十字架じゃなくていいんだ。
ここはイエスがユダの裏切りにより捕らえられ尋問を受けた場所。
イエスの弟子のひとりペテロはイエスを案じてここにやって来たのですが、周囲の人に「イエスの仲間だ」と言われ「知らん」と答えます。そして三度目に「知らん」と言った時、ニワトリが鳴いたのだそうで。
この出来事の前にペトロはイエスに「あなたはニワトリが鳴く前に三度私のことを知らぬと言うだろう」と告げられており、ペテロさんはびっくり仰天してしまいました。
という聖書のエピソードがあり、それをイメージした教会です。



鶏鳴教会
教会自体は新しいらしく、中はカラフルな仕上がり。
天井のステンドグラスの形が特徴的です。

イエスが繋がれていた牢獄
ここは地下にイエスが繋がれていたと言われる牢獄の跡があり、

イエスが登ったと言われる階段
イエスが登ったと言われる階段が敷地内にあります。
どちらもオリジナル、、、らしい。

にゃーん(再登場)



エルサレム旧市街
ちなみにエルサレム旧市街はどこもだいたいこんな雰囲気。
時々アーチが飛んでいたりして、街全体でひとつの建物みたいな趣すらあります。まぁ実質は信仰する宗教によって住み分けされているし、あちこちにイスラエル軍(警察かも)が建っていてものものしい雰囲気もあるんですが。
このように、統一された空気感の中に点在するいろんな宗教の聖地、教会、モスク、シナゴーグ。そしてそれらを巡礼する信者や観光客。有名な場所は人が集まりごった返し、時に数時間並んででも何かを見ようとする。
テーマパーク、、、よねぇ???
と思ったのですが、アレですね。
エルサレムがテーマパークなんじゃなくて、テーマパークがこれを模しているのですよね。だってここは何千年も前からこれやってるんだから。こっちがオリジナルだよね。
よく人気観光地を「テーマパークみたい」と評す人がいますし、ぼくもこれまでそう言ってきましたが、違いますね。
宗教の聖地でもなんでもないただの場所に人を集めるために造られた人工の聖地がテーマパークなんですよね。現代人はその人生において、おそらくこういった聖地よりテーマパークに先に行くので、これをテーマパークっぽいと評するのでしょうけど。
ちなみに、このテーマパークは宗教に詳しくないと面白くないと思います。
イエスがコケた、マリアがイエスを見た、ニワトリが鳴いた、あのダビデのお墓、みたいなので一喜一憂出来ない人にとってはただ人が多いだけの場所なんじゃないでしょうか。少なくともぼくはそう思いました。
それぞれのエピソードごとに建物が建っていたりしますけど、その建物自体が目を見張るようなものであるわけではないですし。そのエピソードそのものに琴線が触れないとダメなんじゃないですかね。
結構楽しみにしてたのですが、信仰心がなさすぎて(というか仮にあったとしても神道か仏教でしょうし)あまり楽しめずちょっと残念、という感じでした。
まぁ旧市街の遺り具合という点では特筆すべきものだとは思いますけどねぇ。城壁から中の建物までまるっと中世のままってのは確かに世界広しといえどもなかなか見ないですから。
岩のドーム以外の行きたい場所には概ね行けたので、旅程の消化という意味では及第点ですかね。
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今日もありがとうございました。
[ 2019.05.15 | イスラエル | コメント: 2 | トラックバック: 0 | PageTop↑ ]
イスラエル博物館で20世紀最大の発見()を拝む
はいこんにちは。
どうもだばでーです。今日もよろしくお願いします。
イスラエルってユダヤ教の国なので、お休みもユダヤ教のしきたりに則ってやっているんですよね。
ユダヤ教にもキリスト教同様安息日ってのがあって、、、というかユダヤ教がキリスト教の元ネタなので順序が逆なのですが、、、まぁとにかくあって、それがシャバットと呼ばれるもの。
金曜日の日没から土曜日の日没までがお休みです。
これはけっこうガチなヤツで、公共交通機関ですら全面ストップします。

ルート検索
イスラエルは素晴らしき西側先進国なので、公共交通機関が定時運行しており、しかもそれがGoogleルート検索で表示されます。
それではここで、出発時刻を金曜日の夕方に指定し検索してみますと。

ルート検索結果
はい。見事に翌日土曜日の夕方以降のバスが表示されました。その間はバスが走ってねぇ、ということですね。
まぁ実際にはアラブバスと呼ばれる、アラブ人が主に利用するバスは運行しているらしいのですが、こっちに関してはGoogleルート検索では出てきません。
民族によって乗るバスが異なるとかどこのアパルトヘイトだよって話なんですけどね。まぁこれが素晴らしき我らと同じく西側な先進国のイスラエルです。
ちなみにこの「アラブバスは金曜土曜も動いているよ」という知識は後になって知ったもので、この日のぼくは「あ、今日土曜じゃん。日中バスねぇじゃん」と素直に信じていました。
というわけで、今日はまず宿をチェックアウト。
宿に荷物を預けてエルサレム新市街(西エルサレム)にあるイスラエル博物館に行こうと思います。
その後バスが動き始めた頃合いを見計らって移動。目的地はテル・アヴィヴ。

エルサレム→テル・アヴィヴ
イスラエルは首都をエルサレムと定めていますが、日本を始め国際社会の多くはそれを認めておらず、大使館をここテル・アヴィヴに置くなど事実上の首都として扱っています。
で、それを「エルサレムが首都でいいんじゃね?」とか某米国の某トランプ大統領が言っちゃったので、国際社会から大バッシング、みたいな出来事がぼくがイスラエルに入国するしばらく前に起きていました。そういう無駄に刺激するようなことはヤメテクレメンス。。。
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イスラエル博物館
というわけでイスラエル博物館です。
宿からは道のり3キロというところ。どうやって来たかと言うともちろん徒歩です。バス動いてねぇって言ってんだろ。
同じく足のない外国人旅行者も何組か歩いて来ていました。
そしてやっぱりお気づきでしょうか。
雨降ってんスよ。
もういいよ。勘弁してくれよまじで。3キロも歩いてんだよ。雨なんか降られてもどうしようもねぇんだよ。バス走ってねぇって言ってんだろボケぇ。
ここは死海写本と呼ばれるすんごいものが展示されているということで有名。
死海写本
死海文書あるいは死海写本は、1947年以降、死海の北西(ヨルダン川西岸地区)にある遺跡ヒルベト・クムラン 周辺で発見された972の写本群の総称。主にヘブライ語聖書(旧約聖書)と聖書関連の文書からなっている。「二十世紀最大の考古学的発見」ともいわれる。なお、広義に死海文書という場合、クムランだけでなく20世紀後半の調査によってマサダやエン・ゲディ近くのナハル・ヘベルの洞窟から見つかった文書断片なども含むので、文書数には幅が生じる。
死海文書はヘブライ語聖書の最古の写本を含んでいて、宗教的にも歴史的にも大きな意味を持ち、第二神殿時代後期のユダヤ教の実情をうかがわせるものでもある。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
この「ヘブライ語で書かれたものとして世界最古」ってあたりがすんごい理由らしいです。書かれた時期は紀元前後ぐらいだと言われていて。その当時のオリジナルですからいろいろ歴史的にも発見があるのでしょう。知らんけど。
まぁこの東洋には一切関係の無い古い文書が「20世紀最大の発見」とか言われちゃうぐらいには世界は西洋に支配されていますね。
では早速入場料を支払って…え、入場料54S(1,700円ぐらい)?高すぎじゃね?

死海写本館
ほんとイスラエル物価エゲつないぁ。。。
あ、こちらがその死海写本が収められているという死海写本館。
なんでも、その死海写本が発見された時ツボに入っていたそうなのですが、そのツボをイメージした形なんだとか。
さーて。ではその20世紀最大の発見()を拝んでやりましょうか。

フォト禁
はいフォト禁。
まぁそういうこともあろうなぁ、とは思っていましたけども。
まじかー。20世紀最大の発見()は写真撮っちゃダメかー。
中には写本がたくさん置いてありました。
まぁまったく読めないし解説もちんぷんかんぷんなんですけど。
そういえば今イスラエルの公用語になっているヘブライ語、1,000年以上話し言葉としては絶滅していたらしいんですよね。聖書の書き言葉とか祭事の詔みたいなのでしか残ってなかったらしい。
それがイスラエル建国を機に復活させたみたいなのですけど、もしかしたらイスラエル人はこの文書読めてるのかもしれませんね。
2,000年前の文書が読めるのかもってところも十分びっくりなんですけど、1,000年以上前の言葉を現代風にしているとはいえ使用しているとかそっちの方が驚きですよ。日本で言うと平安時代の言葉をアレンジして使っているイメージですよ。つまりイスラエルでは金髪のねーちゃんとかがなんとかフラペチーノなどを飲みながら「この甘きお水いとおかし」とか話している可能性があるということですよ。何いってんですかね、ぼくは。
あと中で一眼でバシバシ写真を撮っていた欧米人旅行者のねーちゃんが他の旅行者(おじいちゃん)にやんわりと注意されていたのですが、「そんなこと誰にも言われて無いわ」とつっけんどんに返答していておじいちゃんたじろいていました。

フォト禁
読めねーのかクサレビッチが。
写本館を見終えたら続いて本館へ。

イスラエル博物館
このあたりは歴史ものっぽい。
というか世界の歴史っぽい。
世界中のあちこちの文化・文明の資料が展示されています。



イスラエル博物館
日本のものも展示されていました。それなりにスペースも取られていましたね。
あとこうやって他国のものに混ざって日本のものが展示されていると、やっぱり異質というか他と一線を画している感がありますね。

日本海表記
あと日本海は「日本海」と「東海」の併記になっていました。
西も東もバカばっかりですねー。


ユダヤ教に関する展示
このあたりはユダヤ教に関する展示。やはりここが1番見ごたえのあるコーナーでしょうか。広いですし。
面白いのは、同じアイテムを展示しているのにいちいち「ポーランドから」「ロシアから」「ドイツから」とそれが使われていた場所の表記があること。
イスラエル建国まで自らの国を持たず、世界各地に分散して住みながらも同じ教義を信仰していたというユダヤ教らしさが出ていますね。
あと世界のどっかにあったシナゴーグの内装をそのまま持ってきちゃいました、みたいな展示もありました。
ただやっぱり馴染みが薄いからかあまり興味を引かなかったです。
ヨーロッパの博物館というとRPGでお馴染みの世界観に武器や防具みたいたものがあるし、イスラム圏は展示品がいちいちすごいですからね。
ちなみにどんどん写真が少なくなっているのは広すぎて疲れてきたからです。
もう十分堪能したし帰ろうか、、、と思ったら土砂降りでした。
ありえないぐらい降ってました。
未だかつて旅行中こんなに降られたことがあっただろうかと思うぐらい降っていました。
しばらく雨宿りして、、、ちょっと雨脚が弱まった時を見計らって、、、。
まぁ宿まで3キロもあるんで無駄な抵抗なんですけどね。
そら降られますよね。じゃぶじゃぶ降られますよね。
なぜ雨具を持ってくることを怠ったのか。。。意味分からんぞまじで。
びっしょりになって宿に辿り着いたものの、「じゃあこれからテル・アヴィヴ行こっかな!」などというテンションになるはずもなく、すっかり延泊することにしました。
わしゃこの物価の高いイスラエルで何泊するつもりなんや。。。
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今日もありがとうございました。
[ 2019.05.16 | イスラエル | コメント: 0 | トラックバック: 0 | PageTop↑ ]
世界遺産の「テル・アヴィヴの白い都市」に行ってきた
はいこんにちは。
どうもだばでーです。今日もよろしくお願いします。
というわけで今日は、本当なら昨日行くつもりだったテル・アヴィヴに向かいます。

エルサレム→テル・アヴィヴ
そしてこのテル・アヴィヴ、その市街地が世界遺産にも登録されています。
テル・アヴィヴの白い都市
テルアビブの「白い都市」は、1920年代から1950年代にかけて白色や明るい色の建造物群が建てられたテルアビブの街区の名称である。それらの建造物はバウハウス様式あるいはインターナショナル・スタイルが採用されている。
テルアビブの中心地区では、いまだにそうした様式の建物を4000軒以上も見ることができ、これは一都市内に集中しているものとしては世界でも類を見ないものである。このことから、この「白い都市」は20世紀前半の建築や都市計画を考える上で逸することの出来ない優れた例証として、2003年にユネスコの世界遺産に登録された。同時にそれは、この町が育んできた伝統や文化、あるいは取り巻く気候的要件といったものに、建築様式をどう馴化させるかというユニークな例証にもなっている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
20世紀初頭からこのイスラエルの土地にはユダヤ人が入植し始めたらしいのですが、人工流入のピークはやはり第二次世界大戦前後。ナチス・ドイツがヨーロッパを席巻していたわけで当然っちゃ当然ですね。
その頃ドイツにはバウハウスという美術や建築を学ぶ学校があったんですよ。ナチスに閉校させられたんですけど。このバウハウス、建築史の教科書には絶対出てくるような超有名なやつです。まぁどういうものか全然覚えては無いんですけどね。ほんと授業中はいかに快適に寝るかしか考えてなかったので。
とにかくその当時の最先端の建築を学ぶ場だったということですよ、バウハウス。知らんけど。
何の話かと言うと、テル・アヴィヴには大量のユダヤ難民が流れ込んで来ましたよ、と。
でもそんな数の人を住まわせるような住宅は整備出来ていませんよ、と。
その難民の中には大量の建築家や職人なんかもいましたよ、と。
そんな建築家の中にはバウハウスで研鑽を積んだような方もいらっしゃったのですよ、と。
じゃあここにバウハウスで学んだ知識と技術をブチ込んだ街を造っちゃえばよくね?
ということで出来たのがテル・アヴィヴ。もちろんぼくの独断と偏見で語っているので間違いもあるかも知れませんが、まぁだいたいこんな感じ。
その時代に流行っていた建築様式がそのままの形で遺っているってのは実はそんなに多くないんですよ。年が経つと古くなるし、住む人も生活様式も変わるから使い勝手も悪くなるし。そうすると日本なら建て替えるしヨーロッパなら改装しちゃうでしょ。
それが、この街全体ぐらいの規模で当時の流行りで造られた都市がテル・アヴィヴにはあるわけで、そういうところがなんかすげぇと評価されているみたいです。
まぁぼくとしては行っとかないといけないような気がする場所ですよねぇ〜。
なんですが、実はこのテル・アヴィヴ、一昨日いろいろありましてね。
やめてクレメンス。 https://t.co/wzofGUNpcO
— だばでー世界一周中@ケニア (@DaisukeTokai) 2019年3月14日
やめてクレメンス。 https://t.co/43DvaUSVH7
— だばでー世界一周中@ケニア (@DaisukeTokai) 2019年3月14日
イスラエルの南部にガザ地区っていう、体制側の線引で言うとパレスチナ自治区の土地があるんですけどね。こっからミサイルが飛んできたらしいんですよね。
一昨日にね。
この被害自体は幸い大したことなかった(近郊の空き地に着弾したらしい)のですが、テル・アヴィヴ市内では2014年以来の空襲警報が鳴ったそうで。
空襲警報…。
この21世紀に、途上国ではなく先進国イスラエルの首都らしき都市に空襲警報が鳴るそうなのですよ。
さすが我々自由資本主義陣営西側先進国のお仲間イスラエルさんじゃないですか。もう意味わかりませんね。
ただ調べてみると、もうそれありきで国や都市も造られているらしく、外務省のHPなんかを見ると「空襲警報が鳴ったら近くのシェルターに避難してください」とか書いてあります。そんな身近にシェルターがあるんですね?
ははーん。
つまりイスラエルさんにとってミサイルってのは常に抱えている危険なのですね?
日本で言うところの地震ですね?
学校や会社が授業や業務を止めてまで地震の避難訓練するのって日本では普通ですけど、世界から見たらまったく普通じゃないですもんね。北欧の人が知ったら「なんでそこまでしてそこに住む?」とか言いかねないレベルですよ。
なるほど。
実はミサイル飛んでくるなら行くのやめとこうかなとも考えていたのですが、そういうことなら話は別ですよ。
日本が「いつ地震があるか分からない国」であるのと同じように、イスラエルは「いつミサイルが飛んでくるか分からない国」なわけですよ。
「ミサイルが飛んでくるからイスラエル行かない」ってのは「地震があるから日本には行かない」みたいな話だってことですよ。
想像してみてください。
外国人の友人に「地震があるから日本には行かない」って言われた時のことを。
…だよねぇ。
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エルサレム
はい。エルサレムは本日も絶好調でお天気が悪ぅござんす。
テル・アヴィヴまではバスが出ているのですが、そのバスが出ているバスターミナルまでは3キロほどあるのですよ。
それぐらいの距離はいつも歩いているので今回も歩こうと試みた訳ですが、例によって例のごとく雨が降ってまいりましてね。フル装備で雨に降られると鬱陶しいことこの上ないので、今回はトラムを使うことにしました。
エルサレムにはなんだか近代的なトラムが2路線走っているのです。
検察が多いらしいのでしっかりとチケットを買いましょう。料金は5.9S(180円ぐらい)。使う度に使い道のない0.1Sコインが手に入るという仕様です。券売機はトラムのホームにあります。まぁここは利用者の割に券売機の数が少なくてだいぶ待つのですが。チケットを買っている間に2本トラムを乗り過ごしました。
チケット買い終わったら晴れたんですけどね。

エルサレムのバスターミナル
およそバスターミナルには見えないこちらの建物がエルサレムのバスターミナル。
トラムはこの建物の目の前に着きます。便利ですね。
この建物の4階だか5階だかにバス乗り場があります。
入口では当然のようにライフルを持った軍人さん(警察かも)がセキュリティチェックをしていましたが、ぼくのようなどう見ても外国人旅行者は緩めです。逆にどう見てもアラブ人みたいな人は念入りにチェックされていました。アパルトヘイトー。

テル・アヴィヴ行きのバスの乗車場
テル・アヴィヴまでは16S(500円ぐらい)。この乗り場の階にあるチケット売り場でも買えますし、バスに乗ってから運転手から直接買うことも出来るようです。
これに乗っておおむね1時間。

テル・アヴィヴのバスターミナル
テル・アヴィヴに到着です。近いですねー。やっぱり国土が小さい国は旅行しやすくていいわ。
あとさすが先進国だけあって高速道路も立派でした。バスも大きくて快適だし。エアコン効いてるし。USBポートあるし。先進国万歳。

馬車
まぁ街なかに馬車が走ってましたけど。
これ観光用とかじゃないですよ。普通に荷物運んでるだけでした。
いや別にいいんだけどね。先進国の首都(らしき都市)の大通りを馬車が走ってるとそりゃ違和感も感じるでしょうよ。ぼくがフル装備で歩いている最中に写真撮るとかそれだけで事件ですよ。
途中でお昼ごはんなど食べながら宿へ向かって歩きます。
普段はフル装備で歩く時はとっとと宿に向かって荷物を放り込むことを最優先するのですが、治安に関してはすこぶる良さそうだったので。まぁミサイルはいつ飛んでくるか分かんないですけど。
というかねぇ、、、エルサレムのバスターミナルから思ってたんですけどぉ、、、
ライフル持ったまま歩いてる軍人さん(警察かも)多すぎない?
普通にライフル持ったまま同じバスを同じ待合で待ってるんですよ。
え、仕事中?仕事で民間のバス乗って移動するの?それとも非番?非番なのに軍服着てライフル持ってんの?え、そんでそのライフル持ったままバス乗んの?邪魔じゃない?
街なかにもライフルぶらぶらさせて歩いている軍人さん(警察かも)がちらほら。
別に軍人だからとお硬い雰囲気は無いんですよ。普通に若い兄ちゃん姉ちゃんが普通に会話しながら歩いてるって感じ。ただ軍服着てライフルぶら下げてるってだけで。

テル・アヴィヴ
街は至って平和なんですけどねぇ。
この平和はあのぶら下がったライフルによってもたらされていると思うとねぇ。
まぁ日本も人のこと言えないか。自分たちでライフルぶら下げてないぶんタチが悪いかも知らんね。
平和の反対語は戦争じゃないんでしょうね。ここは平和だけど戦争してるもん。ミサイル飛んでくるし。
ひとしきり毒も吐いたのでテル・アヴィヴの街歩きを始めましょうか。

テル・アヴィヴ
テル・アヴィヴの通りはこのように、車道の間に遊歩道が整備されていることが多いです。
で、交差点のところにキオスクが配置されています。使い勝手や環境共生などに配慮されていますね。
あとこういう涼しい場所を屋外に造らないといけなくなったみたいです。家が暑いから。


テル・アヴィヴの白い家
バウハウスで教えられていた建築はやはりヨーロッパの気候風土向けだったみたいで、地中海性気候でありながら砂漠でもあるテル・アヴィヴに導入するにあたっていろいろマイナーチェンジが加えられているみたいです。
1番分かりやすいのは窓が小さくなっていることですかね。
ヨーロッパの近代建築はいかに窓をデカくするかに心血注いでいる感があるのですが、テル・アヴィヴでそんなことやったら陽が入りすぎて死ぬことでしょう。
建物の外壁を白く塗っているのも夏の暑さ対策。白は太陽光と同時に熱も反射します。
あとピロティを作って建物の下に風を通し熱を逃がすとか、、、まぁいろいろやったものの、テル・アヴィヴにコンクリート造で造ると結局夏は暑いんだそうです。人間が自然に抗うにも限界があるんですよ。
こういうバウハウス調の建物が最も多く見られるのはロスチャイルド通り。

ロスチャイルド通り
あのお金持ちで有名なロスチャイルドさんのお名前を取ったのですかね。ロスチャイルド家ってユダヤ人ですしね。
ここも道路の真ん中に遊歩道と街路樹が整備されています。あの人をダメにするソファも置いてあります。あんなところに置いて誰が座るんだと思ってたら普通に若いお姉ちゃんが座ってダメになってました。





ロスチャイルド通り
通りに面して建つ建物はどれも真っ白(全部がそうとは言ってない)。
ただたぶん建て替えられた新しい建物もずいぶん混じっていると思います。ぶっちゃけどれがバウハウス様式のやつなのか分かりません。そんなん見て分かるか。
個人的な見解としては、どれが古いやつでどれが新しいやつか分からん街並みこそが至高だと思ってますのでここは素晴らしいと思いますよ。建て替えた建物がその街らしさを失わず、古い建物と調和しているということですからね。街並みの保全ってのはこうあるべきだと思うんですよ。持続可能な街並み。ちなみに日本ではまずありえません。もしあるんなら教えてください。行くので。

シャローム・タワー
ロスチャイルド通りの終わりぐらいにあるこちらの建物はシャローム・タワー。
1960年台の建物だそうで、当時のランドマーク的建築だったと思われます。今は目の前にもっと高いビルが建ってますけども。
ここはビルの1階になんかすごいモザイクがあり、2階にはテル・アヴィヴに関する展示があるそうです。どちらも無料で公開されているということでやって来ました。




シャローム・タワーのモザイク
モザイク。
いつも見ているローマやビザンツ様式のモザイクが古典美術だとするとこちらは現代アートですよね。
ぼく現代アートの良さが分かんないんですよね。いや、確かに細かいし大きいし立派だと思うんですけど。



2階の展示
こちらが2階の展示コーナー。
テル・アヴィヴの歴史的なものとかが解説されているということなのですが、完全にヘブライ語オンリーでした。分かるかボケェ。

ヘルツル通り
このシャローム・タワーの前の道路がヘルツル通りと言い、テル・アヴィヴで最も古い通りらしいです。このヘルツル通りの界隈に建物を建てた事をもってテル・アヴィヴ建都(1909)としているとか。

ヘルツル通り
確かにあの建物には「1909」と書かれた標識がついてますね。

ヘルツル通り
まぁ後は基本廃墟なんですけど。これは修復しているのかな。テル・アヴィヴ建都の地ですし綺麗に蘇るといいですね。

ネヴェ・ツェデク
そのヘルツル通りの西側に広がる区画がネヴェ・ツェデク。
テル・アヴィヴで最も最初に開発された区画とのこと。


ネヴェ・ツェデク
ものすごい下町風情が漂っていますが、統一感とかそういう感じでもないですね。まぁ街を造り始めて最初からそんなこと考えないでしょうけど。
この区画にはいくつか内部まで開放しているお宅もあるとかで、時間があったら寄りたかったのですがもう17時なのでやめました。

テル・アヴィヴ
最後に海沿いを南下して行きます。
こちらは南から見るテル・アヴィヴ市街。
今日はなんかそれっぽい建物の写真しか貼ってませんが、テル・アヴィヴは普通に近代的な都市なので高層ビルとか現代建築とかもたくさん建っています。

ヤッフォの港
やって来たのはヤッフォという地区。ここはそこの港です。
もともとユダヤ人が入植する前のイスラエルにはアラブ人が住んでいたわけですが、その時からある街がこちらのヤッフォ。テル・アヴィヴはユダヤ人が来てから出来た街です。
実はテル・アヴィヴという街は正しくは「テル・アヴィヴ・ヤッフォ」と言い、今現在このヤッフォはテル・アヴィヴと合併して市の一部となっていますが、オリジナルはこちら。4,000年以上の歴史がある港町です。





ヤッフォ
もう日が沈みそうなのでちょっと歩くだけ。
平地のテル・アヴィヴと違って丘の上に建つ街なので坂が多いですね。ただその分視点が変わって街歩きが楽しいのですけど、海も見えますし。
あー、でももう時間ないですねぇ。

時計塔
時計塔がいい感じに夕日に映えだしてしまいました。
あと1時間早くエルサレムを出ていたらちゃんと観光出来たな。まぁそれすなわちあと1時間早く起きろということなので、つまり実質不可能なんですけど。

ヤッフォの夕景
帰りは街なかを通らず海沿いをずーっと北上して宿まで戻りました。
サーフィンが有名なのかも知れません。ウェットスーツを着てサーフボードをもったお姉さんたちがその格好のままその辺を歩いていました。たぶんあの格好のまま家に帰る感じですよ、あれは。
ビーチも綺麗に整備されていましたし、街としてはとっても住みやすそうな印象しかありません。イスラエルのお姉さんは美人揃いですし、物価がクサレ高いのも現地で仕事さえ見つかれば解消される問題ですし、先進国の都会なのでなんでもありますし、きっと住むと居心地いいんだろうと思います。
ミサイルさえ飛んでこなければ。
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よく考えたら日本もミサイル飛んでくるかもじゃね?
あ、今日もありがとうございました。
[ 2019.05.17 | イスラエル | コメント: 0 | トラックバック: 0 | PageTop↑ ]