リトアニアの湖畔のリゾート「トラカイ」へ
はいこんにちは。
どうもだばでーです。今日もよろしくお願いします。
中国からシルクロードを西に進むと、中央アジアとかコーカサスとかロシアとか通るわけですが、その辺ってみんなよく「ヒマワリの種」を食ってるんですよね。
バスや列車の中でぽりぽり。
バス待ちのバス停でもぽりぽり。
あそこでぽりぽり。
こっちでぽりぽり。
そして彼らがぽり終わった後には山のような種の殻がそこらに散乱しているというのがお決まりの光景。
ヒマワリの種はそれこそどこにでも売っていて、量り売りのこともあれば、コンビニのお酒コーナーの横にある柿ピーみたいな小さめの袋に入ったものなんかもあります。
これいったいいつまでヒマワリをぽりってるのかなぁ、と。
一体どこがこのヒマワリをぽりる文化の終着点なのかなぁ、と。
バルト三国はもうそれこそ西側先進国だし、ヒマワリの種食わなくても他にも選択肢がいっぱいあるわけで、そろそろ消えてくるかな?と思っていたのですよね。

ヒマワリ
スーパーでヒマワリごとヒマワリの種が売られていました。
消えるどころかますますお盛んやんけ。という話なんですけど。
どうでもいいですか。
どうでもいいですね。
というわけで今日はですね、ヴィリニュス近郊の「トラカイ」という湖畔のリゾート地へ行こうと思います。ベラルーシに行く前にヴィリニュスに滞在していた時、バスの乗り継ぎが出来ずに行けなかった場所ですね。
トラカイ
とにかく湖が多い地域で、そこに浮かぶ小島にお城が建てられちゃったりなんかしていてとても風光明媚らしいです。
まぁこの「リゾート」という響きには拒否反応しか無いんですけどねぇ。。。どうなることでしょうか。
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トラカイ行きのバスの時刻表
いつものようにヴィリニュスのバスターミナルへ。
こちらの写真がトラカイへ向かうバスの時刻表ですね。1時間に1本程度って感じでしょうか。
だいたい1時間の道のりで、料金は3€(400円ぐらい)でした。
ものすごいオンボロバスが来たんですが、これリゾート地に向かうんですよね?

トラカイのバスターミナル
そしてこちらがトラカイのバスターミナル。
リゾート地の玄関口とは思えないボロ具合。
何だ?トラカイがリゾートってのはガセか?ガセなのか?まぁそれはそれでむしろ有り難いけどね?

観光地によくあるアレ
トラカイの街は、湖に囲まれた半島にあります。
この観光地でよく見るアレのある通りを北に進めばトラカイの中心部。



トラカイ
歴史上いろんな民族がやってきては追い出され、多種多様な民族の様式が残されているということで有名らしいです。が、見ただけでそんなの分かりません。ふーん、てな感じです。

ガルヴェ湖
トラカイ街を囲む湖、ガルヴェ湖。


ガルヴェ湖
この湖では、カヤックにヨット、足こぎボートになんか立って乗る板みたいなのなど、様々なマリンスポーツを行っている人がいました。まぁ湖だしそもそもマリンスポーツじゃない気もするけど。この辺はリゾート感出ていますね。

ダイビングショップ
ダイビングショップもありました。
ぼくまだ淡水で潜ったことないんですよね。一度やってみたいんですけど。この湖なんかは上から見ている限りは透明度高そうだし潜ると楽しいのではないかと思うのですが。

ガルヴェ湖
まぁこんだけ何か浮いてる場所で潜ったら轢かれそうですけどね。
このボートなんですが、この湖をさっくりクルーズするというものみたいで、

クルーズ船の看板
こういう看板がそこかしこに立ち、客引きの兄ちゃんもあちこちにいます。
へー、この湖にはこんな島の上に建つお城があるんですねー。

トラカイ城
というお城があちらでございます。
人多っ。

トラカイ城内部
お城への入場料は8€(1,100円ぐらい)。支払って中に入ります。
人多っ。
この城壁に囲まれた中庭では、いろんなお店が出ていてそこで焼いた肉などが売っていたり、

パフォーマー
現地の民謡と思われる楽曲を聞くことが出来たり、

処刑場
それっぽい鎧に身を包んだおっさんに首を落としてもらえたりします。
うわーお。完璧なる中世テーマパークぅ。ふぅ〜。
そんで人多っ。
何なん?なんでこんな人多いん?ヒマなん?みんなヒマなの?
と思ったら今日は日曜日でした。おーまい…。

トラカイ城
このお城の本丸であるあの建物。
あちらは現在博物館として使われているみたいです。
もう人が多すぎて萎えに萎えているので、あそこをさらっと見てとっとと撤収しましょう。


トラカイ城
あれ。なにこれカッコいい。
おんやぁ?意外とカッコいいぞ?
「中世テーマパーク」は好きじゃないけど、「中世」そのものは好きな方なのでね。作られた中世感ではなく、中世を感じられる何かなのであれば問題は無いのですよ。これとかね。まぁこのお城も再建されたものみたいですけど。
このお城の内部は写真撮影は別途で料金を支払う必要があったそうです。知らずに撮ってたらスタッフに注意されました。
というわけで、注意されるまでに撮っていた写真もアップは控えましょう。
こうやって「写真撮影は料金が必要」というところできちんと注意してくれるのは良いことだと思うんですよ。
チケット買う時に分かってたらお金払って中の写真も撮るんですけど、そういう場所って絶対お金払ってないのに勝手に写真撮ってる人間カスが結構沸くんですよね。スマホで撮ってたらバレないと思ってるのかも知れんが普通に分かりますからね、それ。
そういう人間カスが沸くのは仕方ない。カスに「カスであるな」と言ったってカスはカス、もはやカス以外のものにはなれないでしょう。だからこそのカス。
ただカスはカスでも人間カスなので、いちおう言葉は理解出来るハズ。そういう人間カスに「写真撮るなら金を払え」とスタッフが言ってくれることで、われわれきちんとお金を払って写真を撮っている人間も少し救われるわけですよ。われわれが言ったら喧嘩になりかねないですからね、スタッフが言ってくれるというのがポイント。
まぁ言われたところでその場はスマホをしまうもののスタッフが消えたらまた撮りだしたり、そもそも聞く耳持たんのもいますけど、まぁそのへんはカスなんでね。そういうところがカスのカスたる所以であることすらも理解出来ない、それがカス。くされカス。
そんなカスにこれ以上記事のスペースを割くのもアレなので次に進みます。
お城の中には聖堂があったり、当時が偲ばれる家具や調度品、その他展示物なんかが展示されていて、それなりに興味深いものでありました。
ただ、それほど大きくない、特に階段や廊下などの通路部分が明らかに狭いので、きちっと順路が定められているっぽいです。が、その順路が分かりにくい。行こうと思えば何処へでも行けるつくりになっているので、あちこちですれ違い出来ずに止まってしまうという事態が発生していました。
この辺もう少し上手くやればもっと見やすくなると思うんですけどね。


トラカイ城
人の多すぎるトラカイ城内部に対し、その周囲はそれほど人もおらず湖畔沿いの遊歩道はお天気も相まって気持ちが良かったです。

トラカイ城
人が多すぎてアレでしたが、お城はなかなか良かったですね。ウィークデーに来ていたらもうちょっと見やすかったかな?

トラカイ城
もはやどうでもいいけどほんと人多いな。



トラカイ
お城の後は、トラカイの街なかにある別のお城跡などを回りながらバスターミナルへ戻り、そのままヴィリニュスへ帰りました。
うーん。なんか観光地過ぎですねぇ。リゾートって言うかTHE・観光地ですよ。
ベラルーシで四苦八苦してたどり着いたものの、それほど人もいなかった世界遺産のお城なんてものもあったんですけどね。大違いですよ。
ただまぁ個人的にはベラルーシの方が楽しかったかなぁ。簡単過ぎるんだもん、こっち。
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今日もありがとうございました。
[ 2019.01.19 | リトアニア | コメント: 2 | トラックバック: 0 | PageTop↑ ]
リトアニアの日本人ゆかりの街でちょっと真面目な話でも
はいこんにちは。
どうもだばでーです。今日もよろしくお願いします。
えー、今日はですね、ヴィリニュスからカウナスという街に移動しようと思います。

ヴィリニュス→カウナス
このカウナスというのはリトアニア第二の街で、大戦中のゴタゴタ時には暫定的に首都だったこともあります。
が、日本人的にはこちらの方が有名でしょう。
「東洋のシンドラー」と呼ばれた外交官、杉浦千畝氏です。
杉浦千畝
杉原千畝(すぎはらちうね)は、日本の元国家公務員(外交官)。
第二次世界大戦中、リトアニアのカウナス領事館に赴任していた杉原は、ナチス・ドイツの迫害によりポーランド等欧州各地から逃れてきた難民たちの窮状に同情。1940年7月から8月にかけて、外務省からの訓令に反して、大量のビザ(通過査証)を発給し、避難民を救ったことで知られる。その避難民の多くが、ユダヤ人系であった。「東洋のシンドラー」などとも呼ばれる。 カウナス領事館閉鎖後も順調に昇進し、1944年日本政府から勲章を授与される。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
という方です。
第二次世界大戦の直前ですね。リトアニアの領事代理として当地に赴任していた杉浦氏。
戦時中にナチス・ドイツがユダヤ人を迫害、虐殺していたのは有名な話ですが、それから逃れて外国に向かいたいユダヤ人というのがヨーロッパには当然ながらたくさんいたわけです。
ただ道が無いのですね。リトアニアの西にはドイツが迫っており、そちらに抜けるわけにはいかない。当時はすでにトルコがユダヤ人に対してビザの発給を停止しており、トルコから中東に抜けることも出来ない。残された道は、ソ連を抜けて極東(日本)に向かうしかない、という状況でした。まぁ彼らの最終的な目的地は日本ではなく、中南米のオランダ領キュラソーやスリナム、あとはアメリカやカナダだったみたいですけどね。
が、日本政府としては、ユダヤ人を国内に入れるといろいろマズかったようです。なんせユダヤ人を迫害しているのは、これから日本と同盟を結ぼうとしている国ドイツなわけで。同盟を締結後ではなく締結前というのがクセモノですね。1番モメ事を避けたい時期。何度も「ユダヤ人にビザを出すんじゃねぇ」というお達しがヨーロッパの領事に出ていたそうです。
にもかかわらず、杉原氏はビザを発行し続けます。一日中ビザを書き続け、痛みで手が動かなくなるまで「領事の裁量で」ビザを書き続けます。正面から外務省にケンカを売ってしまっては、自らが発行したビザを停止されてしまう可能性もあり、外務省を相手にうまいこと立ち回るというさすが外交官という一面も。
その結果、上役にあたる外務省からどういう処分を受けるか分かったもんじゃなかったハズ。ただでさえこの時期は、世界中で迫害、虐殺、拷問に強制収容なんでもござれのご時世。
結局途中から発行したビザの数を数えていなかったらしく正確な数は分からないものの、氏の発行したビザによって数千人の難民がヨーロッパからの脱出に成功したと言われています。
杉原氏が発行したビザは「命のビザ」と呼ばれ、氏同様各国の外務省からの命令を無視してビザを発行していた他国の外交官とともに、ユダヤ人から「正義の異邦人(ユダヤ人への迫害からユダヤ人を守った非ユダヤ人)」と定められています。
真面目か。
もうこういうことするブログじゃないんですけどねぇ。
というかWikipediaの内容をちょっと要約しただけでござりますがね。
ただまぁ分かりやすくカッコいいじゃないですか。
上司の命令に背いてまで、自らの正義感に従って行動する。
現代ですら場合によってはどうなるか分からん事ですよ、これは。逆に「仕事だから」と私情・私感を捨てることが正しいという認識が蔓延しているとすら感じますよ。
この方は最終的にその功績が讃えられるという結果になり、氏の生誕地には記念館まで出来ているそうですけれども。
歴史がちょっと違っていれば、氏の功績も、氏のやったことも、氏の命さえも闇に葬られていた可能性すらあるわけで。
氏の功績が讃えられる世の中に生まれて良かったなぁ、などと思うわけでございますよ。
あ、という方の記念館に行ってくるぜ。というのが今日の話ですが、今日に関してはこっち↑がメインなんで、以下の駄文は適当に読み散らかしといてください。
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ヴィリニュスのバスターミナル
はい。というわけでいつものようにやって来ております。バスターミナル。
カウナス行きのバスは頻発しているので、適当にやって来ても大丈夫だと思います。
ここからカウナスまで1時間半ぐらいで6.5€(850円ぐらい)。

カウナス行きのマルシュ
これね、先に左の大型バスが来たんですよ。
「おお。今回はすごく豪勢な旅程になりそうだな」と喜んでいたら、後ろから颯爽といつものマルシュが現れてとっても凹みました。
まぁいつものことなんでね。別に良いんですけどね。リガから来た時のバスはすこぶる快適だったのに。ヴィリニュスの市内を走るローカルバスはすこぶる新しい車両だというのに。なぜ中距離路線はこう、、、後回しにされるのか。
そんなことを思いながら1時間半後。カウナスに到着するわけですが。


カウナスのバスターミナル
なんかヴィリニュスのバスターミナルより綺麗じゃない?
あれ?なんなの?カウナス儲かってんの?
今日はこのバスターミナルの眼の前、ほんと道路の向かい側にあるお宿を予約しています。もう徒歩1分ですよ。素晴らしいよね。
まだチェックイン出来ないということだったので、荷物だけ預けてさっそく観光に向かいましょう。行き先はこちら。

杉原千畝記念館
冒頭でご紹介した杉原千畝記氏の記念館です。わーお日本語。
ちなみに、いつものノリで冒頭をすっ飛ばし本文だけ読んでいるという方は、今日に限ってはこっちは読まなくてもいいので冒頭の方をお読みくださいませ。

杉原千畝記念館周辺
閑静な住宅街という形容がピッタリな地区。いつの世でも大使館や領事館はこういう場所に建つということですね。
普通の住宅街なので若干迷ったのですが、その辺のお家のおじいちゃんが何も聞いていないのに「あっちやで〜」と教えてくれました。この辺を歩いている東洋人はみんなここに向かうと思っているようです。その通りなんですけど。
その閑静な住宅街の中の1件がその記念館がこちらです。

杉原千畝記念館
普通すぎる。
これ看板出てなかったら間違いなくスルーしますよ。普通やもん。
なんか当時の領事館をそのまま使っているらしいです。これ当時の人も分からんかったんじゃないかなぁ。

看板
今はこんなん掲げられているんで分かりやす、いや、現地の人は結局分からんな。日本語やん。日本語ばっかりやん。
中に入って入場料を支払います。お値段は4€(520円ぐらい)。
チケットとパンフレットを受け取ると、とりあえず映像を見ろということでシアタールームに連れて行かれました。
なるほど。まずはここの予習をしろということですね。予習は大事だからね。でもこういう映像ってあっちのペースで話されるから理解が追いつかなくて結局意味分かんないんだよね。現地語でやられた日にはもう目も当てられな

オープニング・ムービー
日本語やん。
全編日本語でお送りされました。なんだここは。日本か?
あ、内容はまぁ、冒頭のアレみたいな内容です。。Wikipediaの内容から、杉原氏がスパイでしたみたいな情報をぶっこ抜いた感じ。まぁ制作したのが杉原氏の生誕地の記念館みたいなので、そうなっちゃいますかね。知らんけど。
スタッフさん「はいお疲れ様でしたー」
タイミングを見計らってスタッフさんが呼びに来てくれました。日本語で。
あ、はい。えーと。お疲れ様です。
いちおう今のスタッフさん、現地の方っぽいんですけどね。お顔は。
「お疲れ様でした」なんていう、日本独特な挨拶まで使いこなしちゃいます?そんなことしちゃいます?
まぁムービーも見終わったので中を見て回りましょうか。


受付
先程チケットを買った受付。
さっきは現地の方が受付にいたのですが、今は日本人の方がおられます。普通に日本語で接客されます。
そしてそこで売られているアイテムはこれでもかというぐらい日本語。
しかもコレ、日本円でお支払い可能。え?何なの?ほんとに日本なの?

パンフ
いただいたパンフももちろん日本語。

展示
展示パネルも日本語併記。
やばい。日本みがすごい。
ぼくがいる時に来ていたお客さんもだいたいが日本人でした。
どこかの企業か何かの団体さんが見えていましたね。個人で来ている方もいましたけど。
どうでもいいけど、やっぱりあの日本人特有の黒スーツの集団はちょっと異質ですね。久しぶりに見たけどちょっと気持ち悪いですよ、あれ。
あと現地の方やポーランドの方なんかも来ていました。
完全なる日本人向けな空間だったので逆に少し安心しましたね。なんか日本人しかいない空間ってちょっと居心地悪く感じてしまうようになっていました。ダメだこれは。
あと個人の日本人の記念館に興味を持ってもらったということが単純に喜ばしいですね。ユダヤ系の方なのかなぁ。




杉原千畝記念館
なかなかいろんな意味で勉強になる場所でした。
感想は冒頭のアレに書いちゃってますので繰り返しません。
氏の功績が讃えられる世の中に生まれて良かったなぁ、などと思うわけでございました。

聖ミカエル聖堂
杉原千畝記念館の後は、カウナスの市街地をぶらりすることに。
こちらはカウナスの独立広場にある聖ミカエル聖堂。
杉原千畝記念館からここまで少し距離がある中歩いてきたので、ここでちょっと休憩しようと座っていたら「もう閉めるよー」と言われて追い出されてしまいました。あぼーん。

ライスヴェス通り
この聖堂から伸びているこのライスヴェス通りがカウナスの目抜き通り。
ここから真っ直ぐ旧市街まで続いています。が、

ライスヴェス通り
すっかり工事中です。あぼーん。

ホテル・メトロポリス
領事館を出た杉原千畝氏が、その滞在中にもビザを書き続けたというホテル・メトロポリスもすっかり工事中。あぼーん。




ライスヴェス通り
まぁ工事してない部分を見ればとても綺麗なヨーロッパらしい街並みです。
というかなんで今工事してんの?観光のオンシーズンじゃないの?

旧市街
ライスヴェス通りを歩いて旧市街まで来ました。
真ん中の高い建物は旧市庁舎ですね。



旧市街
ハンザ同盟の都市として発展した頃の建物が残っているそうです。
ここの1番の見どころというと、

聖ペテロパウロ大聖堂
あちらに見える聖ペテロパウロ大聖堂。ちょっと行ってみましょうか。

聖ペテロパウロ大聖堂
およ。すごい。

祭壇
祭壇にも聖人か天使かの像が屹立していて豪華。それでいて白く明るいので重厚さを感じさせませんね。

柱の装飾
高い空間を支える柱は一本一本にこのような祭壇と見紛うぐらいの装飾が施されています。なかなか気合入ってますね。

聖ペテロパウロ大聖堂
壁や天井もフレスコ画などで覆われ、とても美しい聖堂です。
ただこれ結構どこまでも入れるんですよね。よくある教会は、あの一番奥の祭壇の部分とかは入れなくなっているか、入ってはいけない雰囲気を醸し出しているのですが、ここはすっかり入れます。
宗教施設としての利用はもうされていないのかな?

プレイヤールーム
と思ったら脇にプレイヤールームがありました。
なるほど。住み分けですね。考えればあってもおかしくないんですが、あまりキリスト教の教会では見ないスタイル。こういうのももっとあっていいと思います。信者さんは観光客に邪魔されないし、観光客も信者さんに気を使うことなく見学することが出来ますしね。

アリとキリギリスの像。カウナスゆかりのアニメーション作家さんが「アリとキリギリス」のアニメを作ったらしい。

カウナス城
さらに進んで川のほとりに建つカウナス城まで来ました。

カウナス城
当時はこの川が国境だったそうで、ここで何度も戦闘が行われたそうですが、今あるのはこの修復された塔と城壁。

騎士像
どっかの騎士像と。

旗
旗と。

ウォールアート
気合の入りすぎているウォールアートぐらいです。
デカすぎだろ。どうやって描いたんだこれ。
はい。今日はリトアニア第二の都市カウナスをぶらりました。
徒歩でだいたいのところには行けるコンパクト感、人も多すぎず少なすぎずで、個人的にはヴィリニュスよりお気に入りです。ヴィリニュスはちょっと広すぎるんですよね。
というわけでまた明日でーす。
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今日もありがとうございました。
[ 2019.01.20 | リトアニア | コメント: 0 | トラックバック: 0 | PageTop↑ ]
リトアニア「名物の十字架の丘」へ
はいこんにちは。
どうもだばでーです。今日もよろしくお願いします。

コーヒー
スーパーでこういうの見つけたんですよ。日本だとおなじみのカップタイプのコーヒー。甘いヤツが入ってることが多いですよね。
これ海外だとあんまり見ないんですよ。セルフコーヒーメーカーみたいなのが置いてあることは多いんですけど。欧米人は冷たいコーヒー飲まないのかしら。
で、せっかく珍しいものを見かけたので買ってみたのですよ。で、飲んでみたのですよ。
まぁ味は普通ですね。普通です。ただね。
ストローが着いてないんですよね。どうやって飲めと言うんですかね。フタ取って口つけて飲めってこと?
というオチの話なんですけど。
どうでもいいですか。
どうでもいいですね。
はい。というわけで、今日はカウナスを離れてニダという街を目指します。

カウナス→ニダ
ニダというのは、、、まぁこの街については明日書きます。諸事情により。
で、このニダに向かう途中に、ちょっと寄り道をしようと思います。
寄り道先はシャウレイという街。郊外にある「十字架の丘」というのが有名な街です。
十字架の丘
十字架の丘は、リトアニア北部、シャウレイの北12kmに位置する巡礼地。リトアニアの観光名所となっている。2001年に『リトアニアの十字架の手工芸とその象徴』のひとつとして無形文化遺産の「代表一覧表」に記載されている。
その発祥は分かっていないが、初めてここに十字架が建てられたのは1831年のロシアに対する11月蜂起の後であると考えられている。数世紀を経て、十字架だけでなくイエスの受難像やリトアニアの英雄の彫刻、聖母マリア像、肖像画、ロザリオなどもカトリック教会の巡礼者によって置かれるようになった。十字架の正確な数は分かっていないが、約50,000であろうと推測されている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
という、まぁとにかくなんかすごい量の十字架が立っている丘なんだそうです。
バルト三国を北から下ってくる人は、リガからヴィリニュスに来る時に寄ったりするそうなんですけどね。ぼくヴィリニュスまでダイレクトで来ちゃったので。忘れ物を回収する感じです。
ここに寄り道してからニダへ向かう。

カウナス→シャウレイ→ニダ
というのが今日のミッションです。
ちょっとタイトなので、ちゃかちゃかと行きたいところですね。
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シャウレイ行きのバス
というわけでこちらがカウナス発シャウレイ行きのバスです。この区間もまぁそこそこ本数はあります。
ちなみにこのバスの発車時刻は11時過ぎです。ちゃかちゃかどこいった。

シャウレイのバスターミナル
3時間ぐらいでシャウレイのバスターミナルに到着。
ものすごいガランとしていますが、建物自体はショッピングモールに併設されているのでそれなりに立派です。
やっぱりヴィリニュス(首都)のバスターミナルが1番ショボい気がするんだよな。
さて。ここから十字架の丘に行きたいわけですが、そこはちょっと歩いては行けない距離なのですね。だいたいここから12キロぐらい。
なのでここからまた別のバスに乗らなければいけないのですが、ぼくはこの後ニダを目指さなければならないので、そのバスの時間も確認しなくてはいけません。それに間に合うように帰ってくるには十字架の丘を何時に離れなくてはならないのかも確認しておきたいところです。
そして、それらの情報はバスターミナル内にあるインフォメーションですべて明らかになるのでした。

シャウレイ発ドマンタイ(十字架の丘最寄り)行きバスの時刻表
こちらがシャウレイから十字架の丘へ向かうバスの時刻表。
丸が着いているのが「今からならこれに乗ってね」と言われたバスですね。

ドマンタイ発シャウレイ行きバスの時刻表
で、こちらが十字架の丘最寄りのバス停からシャウレイに戻るバスの時刻表。
けっこう遅くまで出ているみたいですね。少なくとも帰ってこられないということはなさそう。

シャウレイ発クライペダ行きバスの時刻表
さらにこちらがシャウレイからクライペダ(ニダへ向かうための経由地)行きバスの時刻表。
およよ。最終が17時とのことですよ。
シャウレイから十字架の丘まではだいたい30分ぐらいみたいなので、それを鑑みると、、、
14時45分 シャウレイ発
15時15分頃 ドマンタイ(十字架の丘最寄りのバス停)着
16時22分 ドマンタイ発
16時50分頃 シャウレイ着
17時00分 シャウレイ発。クライペダへ
という流れが必要。これしかない。これ以外の選択肢は無い。
そもそもこれもクライペダ行きのバスとの乗り継ぎが10分しか無いし、果たしていけるのか感がヤバイんですけどもね。なんでこんな事になっているんだ。おかしいだろ。
ちなみにバスターミナルには荷物を預けられる場所があり、1日1€で預かってくれます。ありがたい。
無事に十字架の丘へ向かうバスに乗り込み、バスの運転手さんに「ここやで〜」と降ろしてもらったバス停がこちら。

ドマンタイのバス停
見事になんもない。
なんだここは。何の目的でここにバス停があるんだ。あ、十字架の丘か。

ドマンタイ
そんでここから十字架の丘まで結構ありそうなんですけど。それらしきものは影も形も見えないんですけど。
実際1キロぐらいあるんですよね。日差しを遮るものが無くてつらいなぁ。

十字架の丘
あ、奥のほうにうっすらとそれっぽいものが見えてきました。あれが十字架の丘でしょうか。

十字架の丘
あれが十字架の丘かもしれません。

十字架の丘
あれが十字架の丘ですか?

十字架の丘
はい、こちらが十字架の丘です。
これ、ほんと十字架の丘です。これほど名が体を表している丘は無いのではないでしょうか。

十字架
このような人の身長を超えるような大きなものから。

十字架
小人用なのかと思うほど小さなものまでサイズはまちまちながら。

十字架
それらの十字架が丘を埋め尽くし。

十字架
立つ場を失った十字架は別の十字架にぶら下がり。

十字架
そのぶら下がった十字架にさらに別の十字架がぶら下がり。

十字架の丘
そういうのがひたすらひたすら続くのがこの十字架の丘です。
こういう引いても寄っても映えるスポットって写真撮ってるの楽しいんですよね。というわけでちょっと楽しんできますね。










十字架の丘
はぁ楽しかった。

十字架の丘
17時過ぎてるけど。
クライペダ行きのバスもう出てもうてますけどーーー。

十字架の丘
細かいところまで見だしたらキリが無いしさぁ(まだ撮る)。

十字架の丘
これどう見てもキリスト教徒が置いたやつじゃねぇだろってのとか、バリエーションにも富んでいるしさぁ(さらに撮る)。

十字架の丘

十字架の丘
そりゃ時間が経つのも忘れるよねぇ(いつまでも撮る)。

なにもないバス停
とは言ってもいい加減撮り飽きたのでシャウレイに戻ることにしました。
まぁ今日はもう移動できないし、シャウレイで泊まればいいや。宿ぐらいすぐ見つかるだろ。
宿ぐらい。。。
宿。。。。。。
宿のお値段が。。。。。。。。
軒並み20€を超えているんですが…???
え、ちょっと、なにこれ。いじめ?いじめなの?朝起きるのが遅かったぼくに天罰が下ったと言うの?そんなお寝坊ぐらいでこんな目に合わされてしまうの?
これはヤバイ。20€はヤバイ。
かと言って他の街に移動するのもめんどくさいし。明日クライペダに向かうことを考えると、今日はシャウレイに滞在するべきだろう間違いなく。
のーん。どうしましょう。。。
最悪どっかで夜明かしするか?
夏の北欧なんだから日没は遅いし日の出は早いだろうけどいやめんどくさいな。ベッドで寝たいな。アツアツのシャワーを浴びてふかふかのベッドで寝たい。
ちくしょうこれはどうにかするしかない!
こういう状況でなんとかするのが旅力だろう!
4年生ナメんなゴラァァァァァァァァアアアアア!!!!!

本日の宿
なんとかなりました。
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今日もありがとうございました。
[ 2019.01.21 | リトアニア | コメント: 0 | トラックバック: 0 | PageTop↑ ]
世界遺産の「クルシュー砂州」へ
はいこんにちは。
どうもだばでーです。今日もよろしくお願いします。
本日は、昨日「十字架の丘」でハッスルしすぎた結果辿り着けなかった、リトアニア南西の街「ニダ」を目指します。

シャウレイ→ニダ
シャウレイからニダへの直通バスはたぶん無さそうです。
ヴィリニュスやカウナスからはあるみたいですけどね。
で、このニダなんですけど、ニダという街そのものよりはニダのある場所が重要です。

クルシュー砂州
このニダが乗っている細長いとこ。これ砂州です。天の橋立みたいなやつですね。規模はぜんぜん違いますが。
このバカでかい天の橋立がまるっと世界遺産に登録されているのです。
クルシュー砂州
クルシュー砂州は、バルト海とクルシュー・ラグーンを隔てる全長98 km の細長く湾曲した砂州である。2000年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。
クルシュー砂州は、南のサンビア半島から、リトアニア本土の港町クライペダの真向かいにある狭い海峡へと、北端が伸びている。全長98kmのうち、北の52kmがリトアニア領に属し、残りがロシアの飛地であるカリーニングラード州に属している。砂州の幅は、ロシアのLesnoye村近くの400 m から、リトアニアのニダの北にあたる3800 mまで、場所によってかなりの差がある。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
で、このクルシュー砂州の真ん中あたりにある、観光の拠点となる街が「ニダ」というわけでございます。
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クライペダ行きのバス
こちらがシャウレイからクライペダへ向かうバス。
クライペダとはリトアニア唯一の港湾都市で、クルシュー砂州へアクセスする時拠点になる街です。
今回は素通りする予定ですが、それなりに観光客も訪れる観光地でもあります。


クライペダ
綺麗に整備された河沿いに広がる美しい街ですね。
クライペダのバスターミナルに着いてたら、ニダ行きのバスを探しました。あると思うじゃないですか。無いんですよ。午前中に3本しか無いんだって。午後は無いんだって。
インフォで確認すると、なんか市バスに乗ってどっか行けって言われるんですよね。何言ってんでしょうか。

バスターミナルからフェリー乗り場への行き方メモ
こんなメモを渡されましてね。
読んでいる限り、どうやら市バスで海沿いまで出て、そこにあるフェリー乗り場から船に乗れってことみたいです。
実はクルシュー砂州はリトアニア本土とは繋がってないみたいです。短いですが海峡で隔てられています。そこをフェリーで渡れってことですね。
どうでもいいけど、シャウレイのバスターミナルで十字架の丘に行く方法を訪ねた時もバスの時刻表を印刷したものを渡してもらったんですよね。リトアニアはこういう「観光客をお助けしてあげなきゃ」みたいな意思が感じられて素敵だと思います。そしてそのためにきちんと事前に準備しておくあたり仕事の出来る国だなぁと思いますね。

フェリー乗り場
というわけで、言われたとおり市バスに乗ってフェリー乗り場まで来ました。
フェリー乗り場の前まで来るのかと思ったら、結構離れた大通りで降りて歩かないといけなかったです。え?さっきのメモにそう書いてましたっけ?あぁそうですか。

対岸へのフェリー
こちらがそのフェリー。ロシアで渡河に使ったフェリーに比べるとものすごいしっかりしております。

対岸へのフェリー
まぁものの5分ぐらいですけどね。乗船時間。橋かけないのかしら。
このフェリーを降りたところにバスが待ち構えており、そのバスに乗ればニダに辿り着くと。そういう感じです。


クルシュー砂州
クルシュー砂州の端から端までぶっこ抜いている一本道をひたすら南下。
時々集落みたいなのも見かけますが、基本的には林です。
実はこの林、ほとんどが再生林です。
16世紀頃に森林伐採をしまくったせいで木々が減りすぎ、その結果砂丘が拡大し人間の集落をも飲み込んだのだとか。
砂が集まって出来た砂州。そこの砂をそこに留める役割を果たしていた木々を伐採し、環境を破壊したことで最終的に人間たちに手痛いしっぺ返しがあったということですね。
で、19世紀になって「このままじゃいかん」ということで当時の当局が大規模な森林再生と保護を始め、現在は砂州全域が森林で覆われている、と。
「人間が破壊した環境で結局被害を被るのは人間自身である」
という教訓と、
「やろうと思えば破壊した自然は再生できる」
という事例が目に見える形で現れているわけですね。
このぐらいの小さな規模だと、破壊されるスピードも破壊して困っちゃうスピードもそしてそれを再生するスピードも早いので分かりやすいですね。
今まさに地球環境が破壊されていっているわけですが、規模がデカすぎるせいかイマイチ危機意識が無いですよね。この次に来るはずの「環境破壊しちゃって困っちゃう」フェーズも当然バカでかい規模が予想されるわけですが、あれですね。人類滅亡しないといいですね。まぁ仮に滅亡しないにしても?人口は減るだろうし社会基盤なんかもぶち壊れる可能性があるわけで?そんな状況の人類がそこまでになった自然環境を再生できるとも思えませんので?まぁつまり滅亡待ったなしということですね。どんまい人類。自業自得だけどな。

ニダのバス停
とかなんとか言ってるうちにニダのバス停に到着しました。
いちおう地図には「バスターミナル」って書いてるんですけどね。ターミナルを名乗るには可愛らしすぎる出で立ちです。まぁ終点なんで「ターミナル」なのは間違いないのか。


ニダ
バスターミナル眼の前、徒歩30秒のところにある安宿にチェックインしたら、とりあえずニダの観光に出ます。
クルシュー砂州はもともと独自の民族が住んでいた土地で、建築様式なんかもリトアニア本土のものとは違っているそうです。

ユネスコマーク
ニダ自体はリゾート地みたいです。まぁ砂州ですから全域がビーチみたいなものですし。歴史的にドイツとの関わりが深いので、今でもドイツ人がよく来る夏の保養地といったところ。まぁそろそろ海で泳ぐには肌寒いですね。仮に夏真っ盛りでもぼくは泳ぎませんが。
というわけで、ニダの街なかはそれほど興味をそそられないのですよ。カンクンやバリほど「THE・リゾート」って感じでも無いですが、どういう形であれやっぱりリゾートは苦手です。
せっかく世界最大級の砂州に来ているので、そこの砂丘にでも行ってみることにしました。

砂丘への遊歩道
街の南にある大きな砂丘には、街からいくつかの遊歩道が出ています。



遊歩道の看板
ところどころにこの砂州や砂丘についてや、生態系などなんやかんやの説明看板が立っています。写真を撮ってきたので興味がある方は読んでみてくださいね(手抜き)。
しばらく林の中を歩いていくと、

階段
なんかものすごい急な階段が現れました。
え?これ?もしかしてこれが砂丘なの?違うよね?山だよね?

階段
あ、地盤砂や。砂丘やこれ。え、デカない?

砂丘上部
どうもこの砂丘、高さ50mを超えているそうです。マンションで言うと17階建てぐらいですか。ちょっと意味わからない規模ですね。
昔このあたりにあったニダの旧集落を飲み込んだこの砂丘、今もちょっとずつ動いているそうです。さっきも書いた植林活動などでその動きを抑制しているのだとか。まぁ砂丘って動くものですけどね。ブラジルのジェリコアコアラってとこに行った時もその周りにたくさん砂丘があったんですが、ヤシの木とか普通に埋まってましたし。


ニダの砂丘
下の方は完全に山でしたが、上に上るとこのような風景。どっかの誰かが「北のサハラ」と評したという荒涼とした光景です。


ニダ
やって来た方向を見ると、ニダの街を眺めることができます。
こっちは青々としていて清涼な印象。前と後ろで正反対な光景が広がっています。
もう少し上があるみたいなのでさらに登っていきますと、

砂丘の頂上
美しい脚が視界に入りました。
これはなかなか素晴らしい脚ですね。お尻も小さくてぼく好み…え。これじゃない。違うんですか。

オベリスク
あ、こっちですか。この高さ12mのオベリスク。こちらなんですか?本当に?脚じゃなくて?

オベリスク周囲のカレンダー
このカレンダー機能付きのオベリスクがいいんですか?お尻じゃなくて?

カレンダーの文様
この可愛らしい文様が描かれたカレンダーのついているオベリスクが見たいんですか?美脚よりもですか?
正気ですか?
夏のヨーロッパに来ていてお尻見ないとかちょっと意味分かんないんですけど。。。ひくわー。

ニダの砂丘
あとなんか風に抗うおっさんみたいな銅像も立ってました。誰だこれ。

クルシュー砂州
というわけで、半日という短い時間を使い駆け足でクルシュー砂州の中心の街ニダをぶらぶらしてきました。
ちなみにこの写真、さっきの砂丘の頂上から南を見ているんですよ。ちょっと分かりにくいけど、砂州の両サイドに水平線が見えてます。砂州、細ぇ…って感じですね。
で。
ここニダはクルシュー砂州の真ん中あたりにあるんですが、リトアニアのバスはここが終点。
え?じゃあ残りの半分は?
あの写真の方向には一体何が…???
みたいな感じで明日に引こうと思います。また明日。
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今日もありがとうございました。
[ 2019.01.22 | リトアニア | コメント: 0 | トラックバック: 0 | PageTop↑ ]